看護の歴史研究と社会との接点について-博士後期課程・分野別専門科目「理論看護学Ⅰ」での経験をふまえて- /山下 麻衣(同志社大学)

 平成29年6月24日に、兵庫県立大学看護学研究科の坂下玲子先生が担当されている上記科目で看護史を講義する機会を頂戴した。

 授業の出席者は、坂下先生の他、同研究科の博士課程の学生の方、看護大学の教員の方であった。私にとって、看護師資格を持つ方々の前で自身の研究を報告することは初めてであり、大変貴重な経験であった。

 まず、講義では、フローレンス・ナイチンゲールの登場が看護史研究に与えた影響を説明するため、中高年で、正式な専門教育を受けておらず、素行が悪い「ナイチンゲール以前」の看護婦の代表としてのサラ・ギャンプ(チャールズ・ディケンズの小説『マーティン・チャズルウィット』の登場人物)と、若年齢で容姿端麗、養成所で教育された「新しい時代の」看護婦を紹介した。その上で、かつての看護史研究ではナイチンゲールの活躍を起点として、看護婦職業が「劇的に」変わったと理解されていたこと、しかしながら、昨今ではナイチンゲール誕生後における多様な看護婦の存在がイギリスやアメリカ合衆国における看護史研究者によって実証されていると紹介した。

 次に、日本の看護婦の歴史については、質が低いとみなされていた派出看護婦の歴史と、それとは対照的に、1920年代後半以降、高等女学校卒業後、専門教育を受けた看護婦が公衆衛生看護婦として同時代に活躍していたことを紹介した。

 この2つを紹介した理由は、同時代に、属性、学歴、働く場、雇用体系がまったく異なる看護婦が日本社会にいたことを示したかったからである。そして、患者の居住地(特に貧しい人々が集住していた地域)や病気の種類によっては、看護婦が医師に比してより主体的な意思決定をして、患者をケアしていた可能性が高いということ、しかしながら、待遇は必ずしも良くなかったということも指摘した。

 質疑応答の過程で、現役の看護師として活躍されている方々にとっての最大の関心事は、看護師が医師とは異なるアイデンティを持つ独立した専門性の高い職業だということをどのように発信していけばよいのか、そして、それを発信するために歴史から何を学べばよいのかという点にあるということに気づかされた。

 この問いへの解答は簡単ではないが、現在考えていることを記す。

 

 まず、当日、受講された方のうち、少なくない学生の方が日本の派出看護婦の歴史を「初めて」知ったとおっしゃっていたことは、歴史学の役割を考える上で重要である。「知らないことを知る」ことは看護婦の職務内容をより広く深く考える材料になるからである。

 次に、ある方が、派出看護婦や公衆衛生を担っていた看護婦のことを「医療機関にアクセスできない患者を見つけ出し、そこに出向いて、看護本来の役割を理解する人々」と表現された。現在、保健師助産師看護師法で、看護師は「傷病者若しくはじょく婦に対する療養上の世話」をする者、または、「診療の補助を行うことを業とする」者と定義されている。先の学生の方がおっしゃった「看護本来の役割」とは、看護師にしかできえない判断を要する医師の診療介助以外の「療養上の世話」という職務内容を指している。

 

 「看護本来の役割」は何だと考えられ、どのような内容であり、それをどう伝えていくのか。この点に看護史研究と社会の接点があるような気がしている。看護婦の役割を広く伝える手段として、例えば、ロンドンにはFlorence Nightingale Museumという看護史を学べる博物館がある。

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<画像をクリックで拡大>

 

 この博物館を訪問した際、ナイチンゲール風のコスチュームを身にまとった学芸員の方が小学生数十人に対して看護婦の歴史を解説していた。このような企画それ自体も少なくとも筆者にとっては驚きであったが、「われこそは!」とばかりに挙手をして、楽しそうに質問をしている小学生の姿がとても印象的であった。また、下記写真は、看護婦が20世紀イギリスにおける日光療法に果たした役割について紹介した企画展の様子と解説書の表紙・裏表紙である(筆者は2015年9月10日に現地を訪問)。

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<左:The kiss of Light (May-October 2015) の解説本の表紙・画像をクリックで拡大>

<右:The kiss of Light (May-October 2015) の解説本の裏表紙・画像をクリックで拡大>

 

 The Kiss of Light(2015年5月〜10月)と銘打たれたこの企画は日光療法を受ける患者の歴史も含んでいるという意味でセンシティブな内容を含んではいるものの、見学者により関心を持ってもらえるような展示物の美しさ、ファッション性、ユーモアを追求しており、新鮮に感じられた。日本ではこのような視点や方法で看護史を学べる施設もイヴェントも少ない。発信方法を考える上での1つの参考例となるだろう。

 

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