グレンフェル・タワー火災事件と医療の歴史の不思議なつながり /高林 陽展(立教大学)

 2017年6月14日、ロンドン西部ケンジントン地区の公営住宅グレンフェル・タワーで80名以上の死者をだした火災事件が起きました。日本でも比較的詳細に報道されたのでご記憶の方も多いでしょう。24階建ての建物があっという間に火の手に飲まれ、ほぼ全体が焼け落ちるという、とても印象の強い火災事件でした。しかし、今日においても事件は終息に至ってはいません。なぜこのような激しい火災事件になったのかという点について議論が続けられているためです。報道を見る限り、外装壁に使われた可燃性の建材に原因を求める説が有力なようです。外装壁の修復工事に際して、燃えやすい建材が使われ、それが今回のような激しい火災につながったというのです。

 

 これに関連して、なぜ可燃性の建材が使われたのか、疑問に思う方も多いでしょう。住宅を燃えやすくする理由などないはずですから。イギリスでの報道によると、可燃性の建材が採用されたのは耐火性の外装壁よりも安価だったからであり、そうすることで公営住宅を運営する自治体当局が税の支出を抑制しようとしたという説も出てきています。つまり、納税者から集めた税金の有効活用・支出の抑制という目的から、安い建材が使われ、それが結果として激しい火災になったというのです。

 

 さて、この事件は不思議と医療の歴史につながります。わたしが手掛けている医療史の研究に実によく似た話が出てくるのです。それは、1903年1月27日にロンドン北部コルニー・ハッチにあった公立精神病院の火災事件です。

 

 1903年1月27日の早朝、ロンドン北部コルニー・ハッチにあった公立精神病院を火の手が襲いました。出火したのは、病院のはじに建てられていた木造の仮設病棟です。ここには320人ほどの女性の精神病患者が入院していました。午前5時30分、この病棟の看護婦が、リネン室が燃えているのを発見し、火災警報を鳴らしました。病院の消防隊、地元の消防隊がすぐに駆けつけましたが、木造だったため火のまわりがとても早く、しかも消火のための水も乏しく、さらに風も強かったこともあって、この建物はすぐに全焼してしまいました。その結果、52名の女性患者がここで命を落としました。

 

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(上)コルニー・ハッチ精神病院の火災現場。仮設病棟が激しく燃えている。

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(下)火災翌日のコルニー・ハッチ精神病院。焼け落ちた仮設病棟の跡。

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(イラスト・写真はいずれも参考文献1より)

 

 前年1902年のロンドンで起きた火災事故で亡くなった人数はおよそ90人程度と言われますので、この52名というのは非常に多い数字でした。そのため、新聞各紙はこの火災事件を大きく取り上げ、火災の責任をだれがとるのかを検証しました。そして、ロンドンの納税者たちは精神病院を運営する自治体(当時はロンドン州議会)に対して、なるべく安価に精神病院を運営することを求めていたこと、ロンドン州議会はそれを受けて、常設の建物ではなく木造の仮設病棟を建設したことが判明しました。ここでも、税金を有効活用しようという思惑から安価な建材が選ばれ、それが結果として人命を奪ったということです。

 

 仮設病棟をめぐるコスト削減の思惑をよそにおいても、このコルニー・ハッチ精神病院はコストの点で非常に努力を強いられていました。当時の入院患者数は約2500人。これに対して医者はたったの5人。火災の約10年前に医師の増員をロンドン州議会側に申請しましたが、これは却下されました。今日からすれば、医者1人あたり500人の患者を担当していたということは、とても想像できないことでしょう。もっと言えば、この5人の医師のうち1人は院長ですから、実質的には4人の医師が2500人の患者の担当医でした。このようなことは、当時のイギリスでは珍しいものではありませんでした。

 

 また、財政上の問題からか、この病院では食料も自前で生産していました。市場で買うよりも安くすむからです。今日の病院を考えると信じられないかもしれませんが、コルニー・ハッチ精神病院には当時、馬8頭、牝牛65頭、雌牛2頭、若い雌牛10頭、若い牡牛10頭、豚397頭、羊60頭、鶏550羽、フェレット4匹が家畜として飼われていました。頭数だけみれば、動物園よりもずっと「動物的」な空間だったのです。

 

 ここで立ち止まって考えてみたいと思います。税金をできるだけ有効活用することに反対する人は少ないでしょう。納税額が少なくなる、あるいはそれ以上増加しなくなるということにつながるからです。合理的で正しいことだと言えるでしょう。ただ、そうした有効活用の結果、人命が失われるとしたらどうでしょうか。それは人間らしくない、人道的ではないと多くの人は考えるのではないでしょうか。

 

 グレンフェル・タワーとコルニー・ハッチでの火災事件は、このような矛盾の存在を教えているかのようです。一見すると合理的に見えることにも落とし穴があるかもしれない。合理的な考え方でも非人道的な結果を招くかもしれない。皮肉にも、1903年でも2017年でも、そう考える必要があるようです。

 

追記


 コルニー・ハッチ火災事件については、2017年度刊行予定の学術雑誌『史苑』(立教大学史学会刊行)に論文を掲載する予定です。そちらをご覧ください。

 

 

参考文献

1.LCC/PH/MENT/3/2: Newspaper Cuttings relevant to work of Asylums Committee, 1901-1903, London Metropolitan Archives.

2.Lucy Pasha-Robinson, “Grenfell Tower fire: Combustible cladding used on building still approved for use”, Independent, 4 July 2017 (http://www.independent.co.uk/news/uk/home-news/grenfell-tower-fire-cladding-building-combustible-flammable-still-approved-use-safety-rules-a7822521.html; accessed on 15 July 2017).

3.Rajeev Syal and Harrison Jones, “Kensington and Chelsea council has £274m in reserves” Guardian, 19 June 2017(https://www.theguardian.com/uk-news/2017/jun/19/kensington-chelsea-council-has-274m-in-reserves-grenfell-tower-budget-surplus; accessed on 15 July 2017).

4.Robert Booth and Jamie Grierson, “Grenfell cladding approved by residents was swapped for cheaper version”, Guardian, 30 June 2017 (https://www.theguardian.com/uk-news/2017/jun/30/grenfell-cladding-was-changed-to-cheaper-version-reports-say; accessed on 15 July 2017).

 

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