音楽と精神医療、その尊厳の光 /中西 恭子

 9月16日、都立松沢病院本館エントランスで開催された公開講演会「精神医療と音楽の歴史」を聴いた。プログラムは二部構成で、第一部の光平有希さんの講演「精神医療と音楽 再現演奏でたどる戦前期松沢病院の音楽療法」では、東京府巣鴨病院と松沢病院で明治時代から昭和初期にかけて行われた音楽療法の実態が患者対象の院内音楽鑑賞会の人気演目とともに紹介された。第二部の松本直美さんの講演「愛に狂った者たちの歌」では、17世紀のイタリアとイングランドの声楽曲における狂気の表象史が紹介された。

精神医療と音楽の歴史 精神医療と音楽の歴史

「精神医療と音楽の歴史」 2017年9月16日(土) ‐終了‐

 光平さんの講演は、近代日本における精神医学の開拓者として明治時代に主導的役割を果たした精神科医、呉秀三(1865-1932)の欧州留学体験とその帰国のエピソードにはじまる。
光平有希さん
光平 有希さんによる講演

 1897年(明治30年)以来4年にわたる欧州留学から帰国した呉秀三は東京府巣鴨病院院長に就任し、留学中に得た知見を生かして1902年(明治35年)同院に音楽療法を導入した。呉の提唱した音楽療法は、患者の脳を休ませて情緒を安定させるとともに〈本来の精神活動〉を喚起して自信と意志を強め、社会と病院のなかの人間関係のつながりを実感させて症状の寛解を促す試みだった。

 巣鴨病院の音楽療法は、作業療法の一環となる読譜と和漢洋楽器の演奏・訓練のほか、院内音楽鑑賞会(「慰安会」)から構成されていた。慰安会の主催団体は、呉の提唱のもと1902年に結成された慈善団体・精神病者慈善救治会である。音楽療法のプログラムは患者の生育歴のなかの音楽環境を配慮して構成された。慰安会のさいには医療スタッフが患者の反応を記録し、治療に適した演目を模索した。

 1919年(大正9年)に巣鴨病院は現在地に移転し、東京府松沢病院と改称した。作業療法の管轄部署として設置された教育治療部の活動を通して、音楽療法もさらに充実がはかられた。教育治療所と娯楽室には蓄音機・和洋漢楽器などの備品が増強され、慰安会の内容もレコードコンサート・演奏会・演芸会などに多岐化していったという。
野澤徹也さん
野澤 徹也さん(三味線)

 慰安会の人気演目例は、演奏家の野澤徹也さんの三味線演奏と光平さんのピアノ演奏で紹介された。講演の前半ではまず明治期の事例として、杵屋六左衛門《越後獅子》〈さらしの合方〉(三味線・ピアノ合奏)、ショパン《バラード第3番》作品47の原曲と邦楽風編曲版(ピアノ独奏)、許屋弥七《勧進帳》〈寄せの合方〉〈舞の手の合方〉〈滝流し〉(三味線独奏)が演奏された。当時演奏された《バラード第3番》の邦楽風編曲版は、邦楽を音楽文化の土壌とする当時の患者たちに洋楽を受け容れて親しんでもらうために、東京音楽学校(現・東京藝術大学音楽学部)など音楽関係者の協力のもとで付点リズムと五音音階を用いて邦楽風に編曲されたものだが、編曲譜が現存しない。今回は光平さんによる編曲試案で冒頭部分が紹介された。

 光平さんの講演の後半では、1929年(昭和4年)以降の記録文書である「病者慰安所綴」に残る慰安会のプログラムを手がかりに、社会と病院の内部をつなぐ演目の事例が紹介された。1934年(昭和9年)のレコードコンサートで上演されたヴィクター・レコード音源《さくら音頭》(佐伯孝夫作曲・中山晋平作詩)、大藤信郎監督作のアニメーション《村祭り》(1930年制作、千代紙映画社)に続き、最後に野澤さんの三味線独奏で中能島欣一《盤渉調》(1941)が演奏された。《さくら音頭》は当時大流行した演目。松沢病院では替え歌《松沢音頭》を作り、機会に応じて患者・医療従事者・職員一丸となって歌い踊ったという。中能島欣一《盤渉調》(1941)は当時の現代邦楽の最前衛作品。野澤さんからは、作曲者自身が来院して演奏した可能性もあるとのことだった。

 舞踊・演劇の付随音楽は、ひとりひとりの患者のなかに入院以前に接した舞台の体験を想起させるものでもあっただろう。和洋合奏と邦楽風編曲の院内演奏会での上演や、先端の現代邦楽の演奏の事例からも、松沢病院の音楽療法における患者の精神の活性化のための妥協なき試みがうかがえる。《松沢音頭》のエピソードは、現在の医療施設でも行われる音楽療法のグループワークを想起させる。
松本直美さん
松本 直美さんによる講演

 第二部の松本直美さんの講演では、17世紀イタリアのオペラ草創期の作品と17世紀イングランドの声楽曲にみられる狂気の表象の諸相が、作例の演奏とともに紹介された。

 講演の概要をまず紹介しよう。

 狂気の主題は、17世紀欧州において声楽曲の主題として圧倒的な人気を誇った。400曲余りにのぼる17世紀のイタリア・オペラの作例のうち、狂気を主題とする作例は約50作品。オペラが確立されていなかった同時代のイングランドでも、演劇に付随する作品や歌曲の形で70曲余りの狂気の歌が知られている。

 当時、現実の狂気と精神病院は笑いと恐怖の対象だった。古代以来の四体液論はいぜん個人の体質・気質と心身の不調の説明原理として用いられ、精神疾患と発達障碍と知的障碍は「不治の狂気」とみなされた。野に放たれた狂人たちを野生児とみなし、知的障碍者を道化として宮廷で雇った中世と同様に、狂人は笑いの対象であり、見世物でもあった。精神病院に相当する施設は狂気の人々のみならず、孤児や私生児のような社会からこぼれおちた人々をも収容するものとして恐れられていた。

 狂気を主題とする作品では、狂気と精神病院の描写は様式化された定型に沿う。作中世界の狂気の原因は、恋愛や貧困や職場での悩み、騎士道物語の内面化、薬物中毒、知的障碍などさまざまだ。狂気の表現形態も類型化された錯乱の演技に沿う。恋に悩む人は愛のかけひきを闘争に見立て、ときには相手に暴力をふるう。狂気の人は神々や怪物や精霊の名をあげて神話の世界に浸り、ものづくしを早口言葉で歌い、野生児のように衣服を脱ぐ。イングランドの作例では、俗謡を模倣する断片を歌いつつ神話や民話の世界に心を遊ばせる狂気の人が描かれる。

 定型表現の源泉を、先行する文学作品が提供する場合も少なくない。たとえば古代ローマの抒情詩人オウィディウスの『変身物語』の参照例がある。また、初期近代のアリオスト『狂えるオルランドー』やセルバンテス『ドン・キホーテ』のような恋と騎士道の理想に没入する男たちの物語は、17世紀のイタリア・オペラに登場する「恋に狂う男たち」の原型を提供した。イングランドではシェイクスピア作品が参照される。この定型化された狂気像に、現代の精神医学の知見に照らして診断名を与えることは難しい。

 今回、狂気の表象の典型例をうたうイタリア・オペラの事例として紹介されたのは、作曲者不詳の一幕ものオペラ《精神病院》(アントニオ・アバーティ台本、1640年代から50年代)より〈官吏のレチタティーヴォ~外国人のアリア〉〈官吏のアリア〉〈恋に落ちた者のアリア〉と、フランチェスコ・サクラーティ《狂ったふりをした女》(ジュリオ・ストロッツィ台本、1641年)より〈序曲〉〈デイダミアの狂乱の場〉、フランチェスコ・カヴァッリ《エジスト》(1643年初演)より〈エジストのラメント〉である。《精神病院》では、職場の人間関係に悩む官吏、恋に落ちた者、道化、貧者が、医学先進地域のイスラーム圏出身であろう外国人の制止を振り切って精神病院に入りたがる。《狂ったふりをした女》は恋人の愛をつなぎとめるために主人公デイダミアが狂気を装う物語。《エジスト》は、植物の精クローリに失恋したアイギストス(エジスト)の狂気への道ゆきを歌う。いずれも日本初演の作品で、イタリア、ストレーザ近くのイーゾラ・ベッラにあるボロメオ宮殿所蔵の《狂ったふりをした女》の写本閲覧申請から非営利の舞台限定の上演許可取得に至る数年間の交渉や、校訂譜作成の苦労話もうかがうことができた。

 後半では17世紀イングランドの事例として、ヘンリー・パーセルの歌曲《狂乱のベス》(1683年初版)の成立史が先行作品の演奏例とともに紹介された。《狂乱のベス》は、王立ベツレヘム病院(ベドラム病院)を舞台に、入院患者ベスの内的世界を歌って人気を博した作品である。

 ベスのモデルを求めて先行作品を遡ると、ブロードサイド・バラードに「ベス」を棄てた恋人の「トム」が登場する。《狂乱のトム》と《グレイズインのマスクの旋律による狂乱のトム》である。この二人を統合するのが、イングランド民話の両性具有の精霊ロビン・グッドフェローである。シェイクスピア『真夏の夜の夢』に登場するパックと同一視されるキャラクターである。失恋の果てに『真夏の夜の夢』の妖精王の国にすむ「狂気のベス」は、パックでもトムでもロビン・グッドフェローでもあるのかもしれない、と知ってパーセルは《狂乱のベス》に《フィッツウィリアム・ヴァージナル・ブック》に収録された俗謡《ロビン・グッドフェロー》を引用した可能性があるという。《狂乱のベス》が初演当時、男性歌手によって歌われることが多かったのも、ベスの原型となるキャラクターに両性具有性があったからではないか、との解説をうかがった。

 19世紀オペラの狂気の描写や、20世紀以降の不協和音と無調を多用した不安の描写に親しんでから17世紀の狂気の主題の歌を聴くと、あまりの穏やかさに驚かされる。解説はこの穏やかな書法が提示する音楽表現の可能性を教えてくれる。音楽は音楽として美しくあるべきだ、という作り手の信念と、音楽修辞学を援用した定型表現による情感の表現が抑制された表現を生み、歌手の創意を狂気の演技につぎ込める可能性を提供したのだという。
櫻井茂さん福島康晴さん
写真左:櫻井 茂さん(ヴィオラ・ダ・ガンバ) 写真右:福島 康晴さん(テノール)

阿部早希子さん
写真右奥:阿部 早希子さん(ソプラノ)

 テノールの福島康晴さんの歌は、狂気の人のたたずまいに悲哀とユーモアをにじませる。ソプラノの阿部早希子さんの歌は、医療への懐疑を歌う「外国人」の造型にも、愛を乞うて狂気を装うデイダミアの造型にも、清潔なりりしさを添える。佐藤亜希子さんがテオルボとリュートを、櫻井茂さんがヴィオラ・ダ・ガンバを担当。気品ある通奏低音の解釈が狂気の人の内なる尊厳を想起させる。
佐藤 亜希子さん
写真右奥:佐藤 亜希子さん(テオルボとリュート)

 近代日本にしても、17世紀の欧州にしても、多くのひとにとっては、みずからの信じるところにしたがって身分や地位や慣習の制約を打ち破って愛情をのびやかに表出し、人生の物語を誇らかに紡ぐことは必ずしも容易ではなかっただろう。あまりに人間的な苦悩からしずかに狂気へと傾いてゆく17世紀の人のひとびとの歌。私宅監置制度や寺社での呪術的治療から解放されて精神病院で療養するようになった人々のふれる音楽。そのエピソードのなかに、人間のもっとも傷つきやすいやわらかな部分に宿る矜恃が明らかにされる。音楽を通して隣人とともに尊厳をわかちあう精神医療を考える貴重な機会であったと思う。

中西 恭子(なかにし きょうこ)

中西 恭子
 宗教学宗教史学研究者・詩人。
 主な専攻領域は古代末期地中海宗教史とその受容史と近現代日本語詩歌研究。
 なかにしけふこ名義で詩と短歌、文藝批評を手掛ける。著書に『ユリアヌスの信仰世界 万華鏡のなかの哲人皇帝』(慶應義塾大学出版会、2016年)、詩集に『The Illuminated Park 閃光の庭』(書肆山田、2009年、第10回中原中也賞最終候補作品)。