『精神疾患言説の歴史社会学:「心の病」はなぜ流行するのか』 書籍紹介/佐藤 雅浩(埼玉大学)

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『精神疾患言説の歴史社会学:「心の病」はなぜ流行するのか』(新曜社・2013年)

佐藤雅浩【著】 価格 ¥5,616(本体¥5,200)

 

 

 数年前に上梓させて頂いた本書は、副題にある通り、いわゆる「心の病」はなぜ流行するのかという問題に対して、歴史社会学的なアプローチを用いて迫った著作です。

 

 具体的には、近代日本で広く一般に知られた精神医学的な疾病概念(神経衰弱、ヒステリー、ノイローゼ)を取り上げ、なぜこれらの病が、医学者の研究共同体を超えて、広く一般大衆の関心を集めることになったのかを、主にマスメディアの言説を分析することで考察しました。

 

 またそれと同時に、上記のような流行に「成功した」事例だけではなく、別途ブログ記事でも触れた「外傷性神経症」という流行には至らなかった事例(失敗した事例)を比較対象とすることで、特定の精神疾患を「流行」の段階に至らしめる可能性がある社会的・経済的・政治的な要因について検討しています。

 

 扱った資料の限界や、分析が現代にまで行き届かなかった点など反省点も多いのですが、複数の事例を比較しつつ「精神疾患の流行」という現象を分析し、その普遍性と特殊性を考察できたことには、一定の意義があったのではないかと考えております。精神医学史や社会学的な医療化論、あるいは精神医学の知識や言説の大衆化といった問題に関心がある読者に手にとって頂きたい書籍です。

 

 

 

忘れられた神経症 /佐藤 雅浩(埼玉大学大学院)

  「外傷性神経症」という言葉をご存じの読者はどれほどいらっしゃるでしょうか。この言葉は、19世紀末から20世紀の半ばにかけて、事故や災害に遭遇した人々にみられる特有の心身不調を表す言葉として、国内外の医学者たちに使われていた医学用語です。しかし日本国内に限ってみれば、この言葉を知っている人々の数は、現在はもちろん、当時においても、あまり多くはなかったと考えられます。なぜなら、当時の一般人が読むような書籍、雑誌、新聞などには、この言葉を使った文章がほとんど掲載されていないからです。この言葉は、事故や災害と、精神的不調の関係に関心を寄せる、一部の医学者だけが知っている「学術用語」であったということができるでしょう。

 

 では、「トラウマ」や「PTSD」という言葉はどうでしょうか。これらの言葉は、現代社会に生きる人々のうち、かなり多くの人が耳にしたことがある(あるいはその意味を知っている)言葉だと思われます。たとえば2004年の「外来語定着度調査」によれば、「トラウマ」という言葉を知っている人の割合(認知率)は、日本人全体で80%に上ります。そして、これらの言葉もまた、事故や災害、犯罪、戦争等に巻き込まれた人々が被る「精神的な傷」という意味で使われています。つまり、約一世紀前の社会で医学者たちが使っていた「外傷性神経症」という言葉と、現代の私たちが知っている「トラウマ」や「PTSD」という言葉には、類似した意味が込められているのです。

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阪神淡路大震災の被災状況(写真提供:神戸市)

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 では、なぜ「トラウマ」や「PTSD」という言葉は専門外の人々にも知られる日常語となり、「外傷性神経症」はそうならなかったのでしょうか? 私が医学史や「精神疾患の流行」というテーマに関心を抱くきっかけとなったのは、1990年代後半の日本社会において、それまで聞きなれなかった「トラウマ」や「PTSD」という言葉が、急速にマスメディアを通じて広まったことに、強い印象を受けたことがきっかけでした。これらの言葉は、当初、現実の出来事(阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件、児童虐待等)を語る文脈の中で社会に広まりましたが、その後は小説や映画、テレビドラマなどの中でも頻繁に取り上げられ、この時代を象徴する流行語と化した感がありました。それまで人々があまり気にしてこなかった(ようにみえる)、「突発的な被害 → 精神的な受傷」という精神医学的な説明が、急速に、また違和感なく人々に受け入れられていく現象、そこに当時の社会を特徴づける「時代の空気」のようなものがあるような気がしたのです。

 

 その後、精神疾患の流行や、精神医学的概念の大衆化という現象を歴史的に検証していく中で、実は過去の社会にも、似たような概念(外傷性神経症)が存在したことに気がつきました。しかし「外傷性神経症」概念は大衆化せず、「トラウマ」や「PTSD」概念は大衆化しました。この違いは何に起因するのでしょうか?この疑問は現在でも完全に解き明かされたわけではありませんが、一定の説明を試みた文章が、拙著(『精神疾患言説の歴史社会学』新曜社、2013年)に収録されています。関心のある方は、お読みいただければ幸いです。また現代の社会と過去の社会の比較という点でいえば、現在日本でも問題となっている「うつ病」の問題があります。しかしこの病も、医療人類学者の北中淳子氏が早くから指摘してこられたように、日本では20世紀前半に流行した「神経衰弱」という病と、症状の面では重なる点が多くあります。では、現代の「うつ病」は、約一世紀前の「神経衰弱」が名前を変えて広まっただけなのでしょうか。それとも、各時代の流行病には、それぞれ固有の流行した理由があるのでしょうか?異なる時空間における事例を比較しつつ、こうした問題を考察することで、現代社会における精神疾患の流行という問題を、より的確に理解できるようにすることが、私の現在の研究目標です。

 

 

精神疾患とアート その1 芦川朋子さんのインタビュー<後編>

聞き手 /鈴木 晃仁 (慶應義塾大学)

 

 

■飯山由貴との出会いとその作品の意味


 

 毛利悠子の展示とともに、芦川は、日本のアートシーンの中で、革新的な役割の中心を担うようになった。その中で、数多くの作家と関係を持つが、芦川が次に発見したのが、当時東京芸術大学の大学院生であった飯山由貴である。飯山が東京芸大の大学院を修了する展覧会のとき、飯山自身は油絵の学生であったにもかかわらず、タペストリー、映像、オブジェ、インスタレーション、スクラップ・ブックなどを用いた作品を展示した。特に芦川を驚かせたのはスクラップ・ブックを用いた作品であった。これは、アーティスト自身が過去に作ったスクラップ・ブックでもなく、著名な人物のスクラップ・ブックでもなく、無名な他人が作った個人的なスクラップ・ブックであった。これを出発点にしてアート作品を作ることは芦川にとって大きな衝撃で、「これはどういうことだ」と思った。それから、飯山が別のギャラリー「実家 JIKKA」で2013年に行った個展にも大きなインパクトを受けて、WAITINGROOM で展示を行うことを提案した。

 

 飯山の作品に感じた衝撃を、芦川は芸術家の杉本博司の言葉に重ねて表現した。現代アートとは、視覚的にも力があるだけでなく、思想・哲学的に重層的なものでなければならない。現代アートは、社会の現在と過去にアクセスする手段の一つであるという考えである。現代でも歴史の中でも、そこにはパブリックな歴史と個人史の双方が組み込まれている。飯山の作品には、古いスクラップ・ブックの個人史を出発点にして、現代と過去が往復されている。これは、現代アートで「古いもの」が使われている一般的な形式や主題と異なっている。古いものを使った現代アートはもちろん存在する。しかし、それらのものは、ノスタルジックなものや、趣味的なものになりやすいという。飯山の作品には、これを打破できる「何か」があり、その上で作家として注目を維持できる「何か」があったという。ノスタルジックで趣味的な仕方で古いものを使う作家はだれかという鈴木の問いに対して、芦川の口からは、誰それという名前が即座に出てきたわけではなく、そのような作家を頭の中で探すという感じがあり、しばらくして名前を出した作家についても、飯山と言葉を交わしたあとで、取り消すような気配で、やはり誰かは即座にはわからないという態度であった。

 

■飯山と WAITINGROOM (2014)


 

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『ムーミン一家になって海の観音さまに会いにいく』2014、スライド写真

©Yuki IIYAMA, courtesy of WAITINGROOM

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 芦川と飯山は WAITINGROOM での展覧会に向けて準備に入る。飯山は別の展示スペースである art & river bank での発表に向けていた作品を発展させて、2014年の9月にWAITINGROOM で開催される、『あなたの本当の家を探しにいく / ムーミン一家になって海の観音さまに会いにいく』のための制作に入っていく。

 飯山の「実家 JIKKA」での個展のあとに、どのように展覧会を作り上げたかという過程は、飯山自身が新しい作風を積極的に開拓したありさまが伺える。芦川と飯山が打合せをするときに、飯山が案を持ってきて、こういう案はどうだろう?という話になった。飯山の妹の統合失調症をテーマにした作品は、飯山の中でも新しい挑戦であり、これまでは他人のスクラップをベースにしていた飯山にとって、自分の家族を主題にするというこれまでやったことがない作風であった。せっかくやるのなら、新しい挑戦をしたい、妹の幻想、ムーミンのおうち、それを家族で実現したい。それは映像作品なのか、どういう形態の作品に仕上がるのかなど、飯山と芦川の間で決まっていった。

 

 これまで、直接の主題としたことはなかったが、作品の背景に存在した妹の病気を、作品で正面から取り上げたいと言う飯山の提案に対して、芦川はポジティヴに反応した。このような、難しいタイプの作品であり、ギャラリーとしては挑戦的な作品を、積極的に取り上げようというのが方針だからである。これは、高度に個人的な内容を扱っており、しかも家族の精神病というさらに個人的なものになっていた。

 

 ギャラリーとしては、これは「売りにくい」作品であった。「売りにくい」というのは難しい概念であるが、大根を売ることと美術作品を売ることは違い、美術作品は言葉の通常の意味で消費されるものではなく、購買した人の生活に広がりをつくること、どこか別の場所に行くということである。そして、この別の場所への訪問が、アーティストと購買者のいずれの生活にも広がりをつくる。

 

■家族の精神疾患という主題


 

 飯山の作品の主題は、自分の妹の病気という個人的なものだけれども、「私の家族が大変なのよ」というような口調になっていない。うまくバランスが取れており、歴史的な部分、個人史的な部分が調和している。そのため、作者の家族の話だけれども、見る人の家族に接続しやすい一種の普遍性をもっている。鑑賞者としては、自分の家族が精神病でなかったとしても、別の問題を抱えていることが多く、そのような主題にアプローチする語り口になっている。家族の精神病に対して、飯山がとっている態度が中立的であり、客観と主観の双方が表現されていると言える。展覧会の冒頭部で使われた、鈴木による説明と小峰病院関連の展示は客観的な展示であり、家族の精神疾患を主題にした一番奥のムーミンの映像は、主観的な部分であった。展示の構成として、どんどん内側に入っていくという流れになっていた。その流れに乗って、観客も自分の内側に入っていくという解釈を、芦川と飯山は作り上げた。そのため、長時間にわたって滞在する客、美術業界の用語では「滞留する」客が多く、そこから展示を見直すと、後から発見された側面もあった。

 

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個展『あなたの本当の家を探しにいく / ムーミン一家になって海の観音さまに会いにいく』

展覧会風景、2014年、会場:WAITINGROOM(東京)、撮影:加藤健

©Yuki IIYAMA, courtesy of WAITINGROOM

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 客の反応としては、実際自分も統合失調症だったとか自閉症だったというようなカミングアウトがあった。また、自分の問題としてだけでなく、誰にとっても遠い問題ではないということが発見された。たとえば、そのような経験をした友人が多くいたというような対応である。家族の精神疾患は、悲劇的なことだと思われがちだけれども、それを考えるきっかけになった。

 客の中には、「主題」にひきつけられて、主題をめがけてギャラリーを訪れる人が多くいた。そういう人たちの反応は、アートを見慣れている人たちとは違う。精神病をこういう風に扱うのかという驚きがあり、まったく彼らが考えていなかったかたちで、精神病が表現される世界であった。これは踏み絵のようなものであり、アーティストやアート作品の役割について深く考察する機会を与えた。精神疾患という主題を、他の分野ではできない方法論で表現すること。これはアート作品として成功していることである。客たちは、客観視する視点と主観的な視点の融合している状況におどろき、無声映画や妹のメモ書き、ムーミンの演劇をやっているということなどにも、驚いた。

 

■飯山とアートフェア東京(2015)


 

 芦川と飯山は2015年のアートフェア東京で展示を行った。この企画は、日本国内では最大級のものとして東京で開催されているアートフェアである。しかし、世界的なアートフェアのレヴェルでみると、保守的であるという印象を持つ。アートフェアという形式の中で、日本特有のものができるとしたらなんだろうか、他のフェアにはないものはなにか。そういった問いの中で運営側によって考え出された方法が、古美術と現代アートの二つのエリアを作ることであった。しかし日本では現代アート作品が古美術に比べて売れないので、古美術エリアが広い面積を占めていて、現代アートは肩身が狭い思いをするという状況が続いている。ここでも、WAITINGROOMとしては難しいタイプの作品を売ることにチャレンジしたいと考えていた。難しいタイプというのは、インスタレーションや映像作品など、前進的なものである。現代アートの中でも、ある意味で保守的な作風のものに人気が集まるという状況もあった。グッゲンハイム美術館での「もの派」や「具体」の展示が、そのタイプの作品の人気を高めたというのも理由の一つである。これは世界的な評価だったので、作品の値段が高騰した。特にアートフェア東京のような状況ではこういった作品が高単価でよく売れるため、「もの派」の作品を出店しているギャラリーも非常に多くあった。

 

 その状況の中で、芦川のギャラリーにおける飯山の作品の発表は、保守派から驚かれた。自分のギャラリーでやる個展ならいいが、見本市でああいう作品は出さないだろうという意味である。しかし、芦川の視点から見ると、敢えて飯山の「ソロ」で挑戦したことにより、他に同じようなことをやっているところが皆無だったので、WAITINGROOMのブースは非常に目立った。誰もやらないだろうということをやったことが、功を奏したのである。

 

 飯山自身は、アートフェアは行ったことすらない、想像がつかないものであった。芦川のアイディアで、ある意味で自分の今までの作品を見渡すことができるような構成にした。編み物、映像、スクラップ・ブックからのオブジェなど、いままでつくってきた違った媒体の作品を同じ場所でみせたい。加えて、個展形式のブースなので、新作も展示したいと考えた。そのため、過去作を一つの壁に、もう一つを新作の壁とした。新作で取り上げたホームレスの作品は、アートフェアに来るような客層とホームレスという存在は、貨幣に対する価値観がまったくちがうようでいて、実はかなり近いということを表現した確信犯的な作品であった。ホームレスが集めているゴミ同然のものを買いたいという人と、アート作品を買いに来ている人、ある意味で同じである。バラックに飾られているゴミ同然のオブジェと、価値の定まらない将来的にはゴミかもしれない現代アートとは、同じようなものだという考えを、それぞれを並列して見せることによって表現したのである。宮下公園のホームレスのことは以前より知っていたが、アートフェア東京に出店することになってから思い出してインタビューした、と飯山。それを「すごく賢い」と思うと芦川は言う。

 

おわりに


 

 以上は、精神疾患の家族を主題にした作品を制作した飯山由貴という芸術家が人々に知られるようになった過程を、最初にコマーシャルギャラリーという環境で紹介したギャラリーオーナーである芦川の視点を軸にして眺めてみたものである。そこにあったのは、芦川の生い立ちとNYでの経験、その経験を日本と東京に持ち帰り何か新しい視点を提案したいという志向であり、その芦川との協働で行った飯山の作品の制作と発表であった。これは一つの側面であり、その他にも数々の複雑な要因があることだろう。飯山自身の志向や、他の展示場での経験なども、飯山の作品の形成についての重要なヒントになるだろうが、それらに触れるのは、別の機会にしたい。

 

 

 

 

精神疾患とアート その1 芦川朋子さんのインタビュー<前編>

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芦川朋子さんインタビュー


2015年9月17日 東京・恵比寿駅近くのホテルのロビーのカフェ

聞き手 鈴木晃仁

答え手 芦川朋子さん、飯山由貴さん(文中では敬称略)

 

 

はじめに /鈴木 晃仁 (慶應義塾大学)


  現代日本における精神疾患と芸術の関係は、めざましいスピードでの展開が始まった。2017年の春から初夏の東京では、新国立美術館で草間彌生の展覧会、東京ステーションギャラリーでアドルフ・ヴェルフリの展覧会と、大規模なものが二つも開催された。草間やヴェルフリのように著名な芸術家で精神疾患の患者だけでなく、もっと一般的な患者に関する作品も、患者自身や芸術家の表現を通じて、私たちの目にとまる機会が増えている。

 そのような作品を発表している芸術家の一人が飯山由貴である。飯山は、現在は東京芸術大学の講師をつとめ、2012年付近から精神医療とかかわる作品を非常に多くの場所で発表してきた。「医学史と社会の対話」でも、すでに塚本紗織の記事が取り上げている。

 飯山が精神疾患に関する作品の発表をするようになった経緯を、飯山の周りの人々の視点から取り上げてみよう。どこの誰が、どのようにして、飯山の作品が人々に知られるような状況を作り上げたのか。そのために、著者の鈴木は、飯山の作品を展示したギャラリーのオーナーや学芸員にインタビューをして、ギャラリーや学芸員たちの考え方と、飯山の作品との接点を考える仕事をしている。今回は、その中から、飯山の作品を最初にコマーシャルギャラリーで展示したギャラリストである芦川朋子さんのインタビューを行い、その要旨をまとめてみた。

 

■生い立ち


 

 芦川朋子は東京に生まれた。両親は、いずれも芸術系の大学教員で、父親は建築、母親は音楽史を教えていた。そのため、芦川は幼少の頃から内外の美術館などに行く機会があって美術に関心があった。特に母親が、コンサートやオペラの企画、若手音楽家の育成などの仕事にもかかわっていたため、その影響で、芦川の中で、芸術をプロデュースし、芸術家と協力する仕事が見えてきた。(ただし、母親に対する反抗期は長かったという)大学受験では、東京の大学の芸術学や美術史を専攻する学科に入学して、芸術作品を作る側というより、それをアカデミックに研究する側に入学した。

 

■ニューヨークでの経験


 

 1997年に大学入学後、サークルに入りコンパをするなど、「普通に楽しい学生生活」をするが、2年生の時に自分は何をやっているのかと気づき、海外でアートを勉強するべきだという「目覚め」がある。アートならばニューヨークだろうと2年生の終りに大学を休学して、当時興味があった写真を学ぶためにニューヨークに行き、その後ニューヨーク大学に編入する。ここで、パフォーマンス、映像、インスタレーションを中心に学びながら、キュレイターやギャラリストとしての志向を持つ。自ら作品を作ることだけでなく、アーティストの作品を見せる展覧会を設計し実施することも、アート「作品」の一つであるという志向である。在学時からNYのギャラリーでインターンを行い、卒業後は2箇所のギャラリーでスタッフとして働きながら、ギャラリストとしての経験を積む。たとえば Soho の Artist Space などである。このような経験を5年ほどしたのちに、2007年に日本に帰国する。NYでの学部とギャラリーでの経験を、日本のアートシーンで実現しようという目標があったからである。そこには、NYのアート全体をめぐる構造の理解があった。NYでは、メガギャラリーから小さなギャラリーまで、さまざまな展示の場所によって見せ方と買わせ方が異なり、それが階層的な構成を作ってアートが成立しているありさまについての実感があった。

 

■WAITINGROOM と毛利悠子展(2013)


 

 2007年に帰国して、2009年まではフリーランスとしてさまざまなプロジェクトにかかわり、東京ワンダーサイトなどで仕事をした。この修行の仕方も通常とは異なり、普通はある特定のギャラリーで修行をするというような形式をとるのが日本流であるという。そして、2009年に東京郊外の自宅の一角にギャラリーをかまえ、2010年には東京の恵比寿に、ギャラリーWAITINGROOMを開く。ここから、ギャラリーに基づいた芦川の「作品の発表」が始まる。

 

 ギャラリーを開いた当初は、本当にやりたいものというより、既に市場が確定している比較的安全なものを展示する方向だった。そのような作品であれば「売る」ことができて、ギャラリーの収入になる。作品としては、絵画や版画などの平面的な媒体となる。

 

 この方向の大きな転機になったのが、2013年の2月に開催された毛利悠子の展覧会であった。毛利の作品はインスタレーションであり、「サイト・スペシフィック」と呼ばれるものであった。ある場所に作品を配置し、そこにさまざまな仕掛けを施して、ある一つの空間全体を一つの作品とするものである。そのような毛利の作品は高く評価され、「アカデミックな」評価は上がっていたが、「マーケット的には」評価が低いという短所もあった。簡単にいうと「売る」ことが難しい形式と構造を持ったアート作品だったのである。この状況を、芦川は毛利との交渉によって変えていこうとする。ギャラリストとアーティストの話し合いによって、作品が「売れる」特徴を持つようにすることである。作品を売れるようにするということは、人々の趣味に迎合するとか、一般的に好まれる定番にすることを意味しているわけではない。芦川と毛利が行ったのは、空間全体に配置された作品を、4つの彫刻作品に分けて、それぞれが単独でも存在できるようにして、それぞれを単独で購入できるようにしたことであった。かつての制作形態であれば、作品を買うためには、その空間ごと買うしか方法がなかったような毛利の仕事が、個々に限定されたオブジェとして買うことができるようになった。芦川が手掛けた展覧会では、毛利の4つの作品のうち3つが売れたという。この仕掛けは成功した。ギャラリストの芦川の個性が反映されたWAITINGROOM が、アーティストの個性的な作品が市場を通じて人々に購買されるという仕組みを獲得した瞬間であった。

>>インタビュー<後編>はこちら。

看護の歴史研究と社会との接点について-博士後期課程・分野別専門科目「理論看護学Ⅰ」での経験をふまえて- /山下 麻衣(同志社大学)

 平成29年6月24日に、兵庫県立大学看護学研究科の坂下玲子先生が担当されている上記科目で看護史を講義する機会を頂戴した。

 授業の出席者は、坂下先生の他、同研究科の博士課程の学生の方、看護大学の教員の方であった。私にとって、看護師資格を持つ方々の前で自身の研究を報告することは初めてであり、大変貴重な経験であった。

 まず、講義では、フローレンス・ナイチンゲールの登場が看護史研究に与えた影響を説明するため、中高年で、正式な専門教育を受けておらず、素行が悪い「ナイチンゲール以前」の看護婦の代表としてのサラ・ギャンプ(チャールズ・ディケンズの小説『マーティン・チャズルウィット』の登場人物)と、若年齢で容姿端麗、養成所で教育された「新しい時代の」看護婦を紹介した。その上で、かつての看護史研究ではナイチンゲールの活躍を起点として、看護婦職業が「劇的に」変わったと理解されていたこと、しかしながら、昨今ではナイチンゲール誕生後における多様な看護婦の存在がイギリスやアメリカ合衆国における看護史研究者によって実証されていると紹介した。

 次に、日本の看護婦の歴史については、質が低いとみなされていた派出看護婦の歴史と、それとは対照的に、1920年代後半以降、高等女学校卒業後、専門教育を受けた看護婦が公衆衛生看護婦として同時代に活躍していたことを紹介した。

 この2つを紹介した理由は、同時代に、属性、学歴、働く場、雇用体系がまったく異なる看護婦が日本社会にいたことを示したかったからである。そして、患者の居住地(特に貧しい人々が集住していた地域)や病気の種類によっては、看護婦が医師に比してより主体的な意思決定をして、患者をケアしていた可能性が高いということ、しかしながら、待遇は必ずしも良くなかったということも指摘した。

 質疑応答の過程で、現役の看護師として活躍されている方々にとっての最大の関心事は、看護師が医師とは異なるアイデンティを持つ独立した専門性の高い職業だということをどのように発信していけばよいのか、そして、それを発信するために歴史から何を学べばよいのかという点にあるということに気づかされた。

 この問いへの解答は簡単ではないが、現在考えていることを記す。

 

 まず、当日、受講された方のうち、少なくない学生の方が日本の派出看護婦の歴史を「初めて」知ったとおっしゃっていたことは、歴史学の役割を考える上で重要である。「知らないことを知る」ことは看護婦の職務内容をより広く深く考える材料になるからである。

 次に、ある方が、派出看護婦や公衆衛生を担っていた看護婦のことを「医療機関にアクセスできない患者を見つけ出し、そこに出向いて、看護本来の役割を理解する人々」と表現された。現在、保健師助産師看護師法で、看護師は「傷病者若しくはじょく婦に対する療養上の世話」をする者、または、「診療の補助を行うことを業とする」者と定義されている。先の学生の方がおっしゃった「看護本来の役割」とは、看護師にしかできえない判断を要する医師の診療介助以外の「療養上の世話」という職務内容を指している。

 

 「看護本来の役割」は何だと考えられ、どのような内容であり、それをどう伝えていくのか。この点に看護史研究と社会の接点があるような気がしている。看護婦の役割を広く伝える手段として、例えば、ロンドンにはFlorence Nightingale Museumという看護史を学べる博物館がある。

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 この博物館を訪問した際、ナイチンゲール風のコスチュームを身にまとった学芸員の方が小学生数十人に対して看護婦の歴史を解説していた。このような企画それ自体も少なくとも筆者にとっては驚きであったが、「われこそは!」とばかりに挙手をして、楽しそうに質問をしている小学生の姿がとても印象的であった。また、下記写真は、看護婦が20世紀イギリスにおける日光療法に果たした役割について紹介した企画展の様子と解説書の表紙・裏表紙である(筆者は2015年9月10日に現地を訪問)。

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<左:The kiss of Light (May-October 2015) の解説本の表紙・画像をクリックで拡大>

<右:The kiss of Light (May-October 2015) の解説本の裏表紙・画像をクリックで拡大>

 

 The Kiss of Light(2015年5月〜10月)と銘打たれたこの企画は日光療法を受ける患者の歴史も含んでいるという意味でセンシティブな内容を含んではいるものの、見学者により関心を持ってもらえるような展示物の美しさ、ファッション性、ユーモアを追求しており、新鮮に感じられた。日本ではこのような視点や方法で看護史を学べる施設もイヴェントも少ない。発信方法を考える上での1つの参考例となるだろう。

 

『ダウン症の歴史』パーティーで思ったこと /大谷 誠(同志社大学)

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 2015年の10月、『ダウン症の歴史』出版記念パーティーが、著者のデイヴィッド・ライト先生をお迎えして、モハウ・ペコ駐日南アフリカ共和国大使の公邸にて開催されました。ダウン症のある方々と彼らの親の方々、ダウン症のある人々への支援者の方々、さらにダウン症のある人々への支援に関心がある方々など、数多くの方々がパーティーに参加されました。立食パーティーが開かれた一方で、ライト先生による心のこもったご挨拶、ダウン症のある方々による素晴らしい演奏会など、いくつかのイベントが行われ、パーティーは大盛り上がりでした。

 

 私も『ダウン症の歴史』の翻訳者としてパーティーに出席し、会場で数多くのダウン症のある方々や彼らの親の方々とお話しする機会を持つことができました。私の亡き母親が知的障がいのある児童のための学校、すなわち特別支援学校(母親が勤めていた当時は養護学校と呼ばれていました)にて教員を長きに渡って勤めていましたので、このパーティーでの経験は、昔のことを思い出させてくれました。私が幼かった頃、母は私を知的障がいのある生徒さんの家によく連れて行ってくれました。私は、その都度、知的障がいのある子どもたちと遊び、歓談を楽しみました。また、彼らのお母様たちが子どもたちの将来への不安を私の母に話されていたことを耳にしました。このような記憶が、パーティーにてダウン症のある方々や彼らの親の方々とお話しすることで鮮明に甦ってきたのです。

 

 そして、パーティーでの経験は、私の研究に新たな視点を生み出しました。医師など、医療従事者によって記述され、報告された史料では知ることのできない、医学・福祉の受け手である知的障がいのある方々と彼らの親の方々の「生の声」を、知的障がいのある人々の親の会の歴史を調べることで見出すことができるのではないかと思ったからです。歴史の中の知的障がいのある人々の声を調べることはとても難しいです。実際、他人とのコミュニケーションをとることが困難な者が彼らの中に数多く含まれており、彼らが自らの日記を残すこともほとんどありません。その一方、彼らの親たちは、知的障がいのある子どもたちの代弁者となって、子どもたちにとっての良き医学・福祉を求めてきました。親の会は、これら親たちの集合体であり、そこには様々な親たちの声が集約されています。また今日、医療従事者は、知的障がいのある人々への対処法を考えるうえで親たちの声を無視することはできません。私は、パーティーに出席したことで、日本とイギリスにおける親の会の歴史について調べてみようと思い立ちました。

 日本では、日本ダウン症協会の会員様から、会成立の経緯、会が過去から現在に至るまで国・社会に対して求めてきた事柄、医学発展への会としての見解など、様々なお話をお聞きすることができました。また、イギリスでは、知的障がいのある子どもたちの親の会として1946年に誕生したメンキャップの歴史について、機関誌等を収集することで明らかにしようと努めています。この成果について、まずは国内外の研究会・学会等で報告し、将来的には活字にする予定です。

 

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デイヴィッド・ライト著 大谷 誠 訳『ダウン症の歴史』  書籍紹介/大谷 誠(同志社大学)

 

 

デイヴィッド・ライト著(大谷 誠 訳)『ダウン症の歴史』 書籍紹介/大谷 誠(同志社大学)

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『ダウン症の歴史』 (明石書店・2015年) 価格 ¥4,104(本体¥3,800)
デイヴィッド・ライト【著】/大谷 誠【訳】/日本ダウン症協会【協力】

書籍紹介 /大谷 誠(同志社大学 人文科学研究所 嘱託研究員)

 今から150年ほど前のイギリスで、ダウン症の医学的分類がジョン・ラングドン・ダウン医師によって行われました。知的障がいの医学的分類が確立され始めたのもこの頃からでした。医学者によって、ダウン症は知的障がいの一部類に入れられつつ、その症状の原因と治療の方法が模索され始めました。20世紀の半ばには、フランスの医学者ジェローム・ルジューンによってダウン症の原因が解明されました。また1970年代には、ダウン症の合併症である先天性心臓疾患の手術が可能になったこともあり、ダウン症のある人々の平均寿命が延び始めました。

 

 19世紀半ば以降、医学者は、知的障がいの存在を世間一般に広めようと働きかけました。彼らは、活字媒体などに、ダウン症など、知的障がいの特徴について詳細に伝えようとしました。しかし、医学者が社会への浸透を試みた情報の中には、「知的障がい者の精神的、身体的欠陥性」を強調したものも含まれていました。20世紀初頭の欧米などで、このような医学的説明から影響を受けた政治家や作家など、社会のエリート層は、「知的障がい者は社会のお荷物であるので、彼らの繁殖を防ぐ対策が必要である」と主張しました。実際、ヒトラー政権下のドイツでは、知的障がいのある人々への断種や安楽死を行う政策が実施されています。

 

 上記のような、医学が社会にもたらすプラスとマイナスの面を私たちはどのように考えればよいのでしょうか。なかなか明快な答えを見つけることは難しいでしょう。しかし、できる限り歴史上に起こった様々な事象に目を配ることで、未来に向けた医学と社会とのより良き関係性を模索することが大切ではないでしょうか。私がお薦めの『ダウン症の歴史』では、ダウン症や知的障がいを通じての、歴史の中の医学と社会との関係性についての様々な事例(上記した内容を含みます)が書かれています。また、本書の対象とする地域は、イギリス、フランス、ドイツ、アメリカなど、欧米諸国だけでなく、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、日本など、多地域に渡っています。カナダ出身で精神医学史研究の第一人者の一人と高い評価を受けているデイヴィッド・ライトは、このテーマへの確かな説明を行っています。

 

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『病は気から』を病院で読む /鈴木 晃仁(慶應義塾大学)

 SPAC静岡県舞台芸術センター(Shizuoka Performing Arts Center)が、モリエール原作の戯曲『病は気から』を2017年の10月に上演する。その台本を病院で読み合わせる「リーディング・カフェ」に参加した。6月29日の夕刻7時から9時半くらいまで、場所は静岡市の浜本整形外科医院の待合室。

 

 SPACは静岡県が設立した劇団であり、創造的な舞台芸術活動を地元に根付かせながら、世界的な視点を持っている。日本ではなかなか見られない地方自治と芸術の関係をキープしている。1995年の設立時の初代の芸術総監督は鈴木 忠志であり、2007年からは宮城 聰が二代目の芸術総監督をつとめている。静岡はもちろん、国際的な演劇祭などでも活躍しており、地元の人々に深く愛されている。

 

 「リーディング・カフェ」というのは、SPAC俳優の奥野 晃士いわく、(おそらく)彼が考えついたアイデアとのこと。俳優たちが一緒に台本を読む「読み合わせ」と同じように、一般参加者が和気あいあいと楽しく台本を読むのである。2008年から400回ほど行っている。今回のリーディング・カフェも楽しくて、読み方を間違えたり、難しい外国人の名前(「ディアフォワリュスさん」)がすらすらと読めなくても、怒った演出家にタバコの灰皿を投げつけられるようなことはない(笑)。

 

 今回の企画の特に面白いところは、本物の病院で、医療にかかわる芝居の読み合わせをするところである。参加者の一人は「洒落がわかる」企画だと感心していた。モリエールの『病は気からLe Malade imaginaire 』は、1673年2月にパリで初演された作品。主演俳優はモリエールその人だったが、公演中に病で死亡するというダークなエピソードもついている。本作で特に重要なことは、当時の医師や患者を嘲笑した点である。医師たちはギリシア語とラテン語のテキストを読み解くばかりで、現実の病気や治療にはまったく疎い愚かな人々である。患者はさらに愚かで、医者たちに言われるがままに自分を病気だと思い込み、治療を受け、養生をして、薬を買い、浣腸をされている。医者を尊敬するあまり、医者の息子に自分の娘を嫁がせようとしている。そんな愚かな医者と愚かな患者が作る状況の中で、患者の弟と女中が一計を講じ、最後には娘と彼女の恋人が勝利する喜劇を描いたのが『病は気から』である。医療をたたえたり、患者に共感したりする定番ストーリーの真逆のシナリオである。

 

 ところが、意外なことに、この作品の読み合わせに集まり楽しんでいた参加者の多くは医療関係者であった。参加者は男6名、女14名の計20名。SPACが培ってきた静岡の演劇や舞台の愛好者と、リーディング・カフェの場所を提供した浜本医院が軸になって作る医療関係者の二つの系列があった。そして面白いことに、この二つのグループは重なっていた。浜本医院に勤務する医師で、趣味が演劇の方。近くの病院に勤務する医師で、過去のSPACの公演に(なぜか)出てしまった方。浜本医院の患者さんで、朗読を趣味にしている方。浜本医院に通っている患者さんの家族で、SPACの企画に参加したことがある方。つまり、医療関係者や患者と、演劇や芸能に興味を持つ人たちが、はっきりと重なり合っていた。医療のシステムと演劇や文化のシステムが重なり合っていることが、今回の企画の背後にあったのだろう。

 

 参加者の手元に台本が配られる。岩波文庫でも読める鈴木 力衛 訳から編成したものである。奥野さんがト書きを読み、面白い解説を入れながら、順番に、1ページくらいずつ台詞を読んでいく。そこに台本とは関係ない雑談も入ってきて、患者さんの診療の話になったり、共通の知り合いの医師の話になったりした。初めて会った人たちが多かったはずなのに、会話を引き出して自分の話をする動きがあった。私にとっても、そのような場に身を置くことは、とても楽しいものだった。

 

 浜本医院に、訳書を待合室に置いてくださいとお願いしたので、私も少し自分のことを話す機会があった。「医学史と社会の対話」の夏の企画で、2017年の9月16日に松沢病院で行う「ロビーコンサート」のことを話しておいた。(この言葉は、奥野さんに教えてもらったものである)。その企画に向けて、今回のリーディング・カフェの参加は、大きなヒントになった。医療が作る共同体に文化を入れること。文化の中に、医療と身体の話題を入れていくこと。その双方向性を持つ動きを念頭に置くと、夏の企画にもプラスになるだろうし、研究者が歴史を観るときにも新しい風景が見えてくるのだろう。

 

 

 

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ウィリアム・バイナム/ヘレン・バイナム『Medicine-医学を変えた70の発見』(医学書院 2012年)

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『Medicine-医学を変えた70の発見』 (医学書院 2012年)
ウィリアム・バイナム/ヘレン・バイナム【編】鈴木 晃仁/鈴木 実佳【訳】
価格 ¥4,320(本体¥4,000)

 

書籍紹介 /高林 陽展(立教大学准教授)

 「医学を変えた70の発見」といわれると、さまざまな病を克服した偉大な医学の歴史という話がみえてくるかもしれない。それはけっして間違っていない。この本は、ヒトが歴史を通じて病とむきあい、その解決法を探し求めた、英智の歴史を語っている。いわば、ヒトの成功物語の一種である。しかし一方では、そんな成功物語におわらない、豊かな歴史のあり方をみせてくれてもいる。

 編者のウィリアム・バイナム氏は、もともとは医学を学びながらも、その歴史へと思いをはせ、そこから「医学とはなにか」「ヒトとはなにか」を問いつづけてきた歴史家である。英国・ロンドンにかつて存在したウェルカム医学史研究所の所長を長らくつとめ、医学史研究という分野の発展をみちびいた、医学史の世界的な権威である。ロンドンのウェルカム医学史図書館を訪れれば、いまもなお、歴史史料のページを一枚一枚めくっているバイナム氏をみかけることがある。医学史の生きる字引、それがバイナム氏である。

 それゆえに、この本の構成は単なる成功物語とはならない。第1章「身体の発見」と第2章「健康と病」は、医学という英智をみるまえに、ヒトがカラダというものをどのようにとらえてきたのかを示している。病んだカラダを考えるとき、そこではかならず健康なカラダが表裏一体となっている。そして、病気と健康の境界線は、時代、地域や文化によって異なる。かつて、ヒトのカラダは、一つの「全体」をなすものと考えられていた。下腹部が痛いと感じたとき、わたしたちは、胃や腸の問題ではないかと考えるだろう。西洋の古代医学では、そうは考えなかった(東アジアの医学でもまた)。カラダを流れる四つの体液(血液・粘液・黒胆汁・黄胆汁)のバランスが乱れていると解釈したのである。一方、健康な状態はその逆、体液のバランスが整っていることを指す。この身体をめぐる考え方は長い歴史を通じて徐々に変化していったのである。「70の発見」は、そのような歴史のひとつひとつの局面となる。

 第3章以下はそのような歴史、ヒトがどのようにやまいにむきあい、どのような技術や薬品を生み出してきたかを語ってくれる。第3章「商売道具」ではヒトが生み出してきた医療器具の歴史、第5章「苦あれば薬あり」では、ヒトが経験的に、そして実験を通じて作り出した薬品の歴史が語られる。それでも、過去の治療というものは苦難の歴史である。第4章「疾病との闘い」では、ヒトを悩ませつづけてきたウィルスとの一筋縄ではいかない闘いの軌跡が、第6章「外科の飛躍的発展」では、その栄光だけではなくヒトのカラダを切り裂くことの難しさがみえてくるだろう。このような長い歴史あっての、第7章「医学の勝利」なのである。ただし、ここでは括弧つきの「勝利」である。「勝利してよかった」「現代に生まれてよかった」ではけっしてない。そこには、「勝利」の時代なりの苦難もまた存在している。それは、わたしたちが目にする現代の医学論・医療論に如実に表されている。

 

 この本は、医学に興味のある方だけにむけて書かれたものではない。もちろん、医師、看護師、医療従事者の方々には、「なるほど、そのような経緯があったのか」「いまある技術や薬品にはそのような意味があったのか」という想いを抱かせる項目も多いだろう。最大の受益者は、医療従事者だと言うことには間違いはない。他方で、自分のカラダや周りのひとのカラダ、その健康と病気にむきあうのは「すべてのひとたち」である。訳者の鈴木晃仁はかつてこう語っていた。この本は病院や診療所の待合室においてほしい、と。それは、すべてのひとに意味あるものだからなのである。

 

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伊東剛史/後藤はる美『痛みと感情のイギリス史』(東京外国語大学出版会 2017年)

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伊東剛史/後藤はる美『痛みと感情のイギリス史』 (東京外国語大学出版会 2017年)
価格 ¥2,808(本体¥2,600)

 

書籍紹介 /高林 陽展(立教大学准教授)

 「痛みと感情の歴史」ときいて、まずなにを思い浮かべるだろうか。怪我をして痛い思いをすることだろうか。怒る、悲しむ、喜ぶといった、とめどもなくあふれる人間の気持ちだろうか。体罰や処刑の歴史だったり、あるいは憤死やうつ病の歴史だろうか。いずれにしても、すこし手に取るのをとまどう、ネガティブな話にみえるだろうか。この類のテーマにまったく関係がないわけではないが、『痛みと感情のイギリス史』のストーリーはそうはならない。この本は、痛みと感情の歴史が「書きにくい」ものだということを出発点としている。過去の人間の痛みと感情が「書きにくい」というのは、どういうわけだろうか。少し解きほぐしてみよう。

 まず、「痛み」について。痛みは、きわめて主観的なものだと長らく理解されてきた。医学の側からも痛みを客観的なものにしよう、数値で計れるようにしようという試みはあったが、それでも原因不明の痛みというものはさまざまな人に語られてきた(現在も語られている)。きっとわたしたちの実感も同じだろう。となると、その歴史を書くというのは、とても難しく、ひょっとしたらおこがましいことでもある。痛みは、感じているその人の専有物なのだ。しかし、痛むということが表明され書かれ、他人へと伝えられるとき、それは単なる専有物ではなくなる。他人の痛みを想像し、共感し、分かち合う。あるいは、その痛みをやわらげる試みがなされる。つまり、痛みはそこで「生きられる」。その生きられた痛みこそは、個人の範疇を超え、家族へ、友人へ、医者へ、社会の人々へとひらかれ、その関係の中で意味をもってゆく。そのような「半主観的」な経験を歴史学はどのように記すのか。この本は、そうした実験的な試みである。

 「感情」を記すことについても、歴史学は若干の困難をおぼえてきた。歴史とは、ながらく人類の英智の歴史、理性の織りなす歴史だった。そこでは、論理的な正しさが追い求められ称揚される。対して、感情はそうではない。感情は、唐突さが許され、必ずしも理屈が求められるわけではない。あのひとは感情的だねという言葉を考えれば、わかるだろう。感情は、理性の対極にある非合理的なものであり、歴史の対象からは除外されがちだった。さらに言えば、感情もまた主観的かつ個人的なものとされがちだが、それも実際には個人の領域にはとどまらず、他者との関係のなかへと流れこんでゆく。この本は、その流れ出すところをとらえてゆく。

 こうした歴史からは、人類がそのからだをどのように考えたのか(身体観)、こころというものをどう理解していたのか(精神観)がみえてくる。からだやこころの仕組みを知りたければ、医学の本を読めばいいんだ。心理学の本を読めばいいんだ。そのように言うこともできるだろう。今日の科学に頼れば答えはみつかるということである。この本では、ただちにそのようには考えない。過去には、いまと異なるからだとこころのとらえ方がある。様々な地域ごとにもある。いずれも、そのときその場所では正しいと、当時を生きた人にとっては正しいと信じられていた考え方である。それを、科学的に真実はひとつだと言い切ることには、割り切れなさがのこるだろう。この割り切れなさとは、言い直せば、あなたにこの痛みがわかるか、この気持ちがわかるか、ということになるだろうか。『痛みと感情のイギリス史』は、この割り切れなさに迫ろうとする。

 医学は痛みを定義し、客観化しようとする。貧者が自身の痛みを訴え、救済を求める声は、他者の共感を要求するがゆえに過剰なものとなる。斬首され殉教した聖職者の処刑場面をみたものが自分の首に痛みを感じる。敬虔なプロテスタントの女性がみずからの日々の体調不良を神が与えた試練と解釈しようとする。夫の暴力、そこからの痛みを理由として離婚しようとする女性の訴えは法廷闘争の道具となる。動物にも感情はあるのかと問うた科学者たちは、生物界でのひとの特権的な位置を考えて逡巡する。痛みと感情の歴史は、これほどまでに多様であり、けっして一つの枠にはおさまらない。それが、この本の伝えるところである。

 


【目次】

無痛症の苦しみ(伊東剛史)

Ⅰ 神経―― 医学レジームによる痛みの定義(高林陽展)

Ⅱ 救済―― 一九世紀における物乞いの痛み(金澤周作)

Ⅲ 情念―― プロテスタント殉教ナラティヴと身体(那須敬)

Ⅳ 試練―― 宗教改革期における霊的病と痛み(後藤はる美)

Ⅴ 感性―― 一八世紀虐待訴訟における挑発と激昂のはざま(赤松淳子)

Ⅵ 観察―― ダーウィンとゾウの涙(伊東剛史)

ラットの共感?(後藤はる美)

痛みと感情の歴史学(伊東剛史・後藤はる美)


 

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